ゲボと音楽
初めて自分がゲボを吐いた時のことを覚えていますか?
僕はハッキリ覚えています。
この記事では過去を振り返る日記としてそのゲボのことと、僕の葬式ではこの人の曲を流して欲しいと思う程敬愛している『音楽使い』、平沢進さんに出会うまでの音楽人生を振り返っておきたいんです。といっても僕の音楽人生は非常に薄っぺらいんで、すぐに終わります。
僕は幼稚園の頃からエレクトーン教室に通っていました。でも僕は楽譜が読めず、全部の指の動きを覚えなければならなかった為すごくキツくてストレスを感じていました。
そして小学校1年か2年くらいの時、そのストレスに耐えかねてエレクトーン教室でゲボを吐いてしまいました。これが初ゲボでした。
それからというもの音楽自体がトラウマになってしまって、音楽の授業も苦痛でしかなく、音楽を聴くことも友だちとカラオケに行くこともありませんでした。
そのせいで流行りの歌を聴いても良さが理解できず、どの歌手どの曲も二言目には愛だの感謝だの言ってるので全て同じ曲に聴こえてしまうようになってしまいました。
トラウマのせいで価値観が歪んでしまったんですね。
そんな歪んだ音楽観を持ったまま22歳になったある日、淫夢動画を見漁っていたらたまたまこの動画を見つけたんです。
この動画が僕と平沢進さんの初の出会いでした。
なんだ?この変な動画は?と思い、きちんと元ネタのPVも確認したら、更にカオスな雰囲気にのまれました。
明らかに僕の知ってる音楽とは違う、異質すぎる。きっとこのアーティストは常人とは文字通り違う世界が見えているんだと、直観的に思いました。
それだけでなく、調べていくうちにこのアーティストは日本の音楽産業に反旗を翻し、独自の地位を築いていると知りました。
過程は違えど、この人も大衆消費音楽を嫌いになった人なのだと気付き、僕の歪んだ価値観を肯定されたような気がして、とても嬉しくなったのを覚えています。
それからはもう思春期の音楽的空白を埋めるように、ひたすらハマりまくりまして、現在に至ります。
嫌味な言い方になってしまいますが、フツーの音楽を嫌いになってよかった。でなきゃこの平沢進という人には出会えなかった。
それと、でかいタービンのMADを作ったなすのさんには本当に感謝しています。
これが全てのきっかけですから。改めてお礼申し上げます。アナタのおかげで僕の人生は豊かになりましたよ。
最後にオススメの動画を幾つか貼っておきます。